徳島県那賀郡那賀町小仁宇 那賀川
(2026/09/25 更新)
那賀川は、徳島県を流れる県下最長の一級河川です。幹川流路延長は125kmで、徳島県内で最も長い河川でもあります。那賀郡那賀町木頭北川の剣山山系ジロウギュウに源を発し、高の瀬峡を経て、阿南市から紀伊水道へ注ぎます。県内に源流を持ち、流域が県内のみで完結する一級河川という点も、那賀川の大きな特徴です。
2006年には「最も良好な水質」として清流四国一にも選ばれました。流れの青さや、山あいの緑を映す景観が印象に残る川として語られています。
那賀川の印象は、場所や季節によって少しずつ変わります。口コミには「とっても綺麗!最高にブルー!」という声がある一方で、一部に工事由来の汚れを見て気になるという感想もありました。川を眺める人の視線は、澄んだ流れそのものだけでなく、周辺の変化にも向いているようです。
5月には山の新緑と川の深緑が重なり、見惚れるような景色だったという感想もあります。季節が移ると、同じ川でも受ける印象は変わります。暑い日の川辺では、深い流れの色や水面の涼しさが、ひときわ意識されるのかもしれません。
那賀川は、流域の暮らしや農業を支えてきた川でもあります。平成18年度には、那賀川平野に広がる用水網が「那賀川用水」として、農林水産省の「疏水百選」に選ばれました。徳島県では唯一の選定でした。
那賀川平野の用水は、昔の用水路や自然河川を利用して整備されてきた経緯があり、用水路と排水路が兼用となっている区画もあります。地域の都市化や混住化が進むにつれて、水路へ生活排水が流れ込んだり、道路端からゴミが投げ込まれたりすることも課題として挙げられてきました。水質は下流ほど悪化し、稲作に支障をきたす地区もあるとされています。
こうした状況は、単に水を引くだけでは済まない、地域の水管理の難しさを伝えています。清流としての那賀川と、農業用水としての那賀川。その両方が、今もこの平野の風景を形づくっています。
那賀川流域は日本有数の多雨地帯であり、山地が流域の約9割を占めます。そのため古くから林業が盛んで、上流域の木材は筏流しで運ばれていました。隆盛期には、上那賀町谷口土場から約70km下流の古庄、中島の集積場まで、年間4,000杯もの筏が流れたとされています。
また、明治末期から昭和中期にかけては、高瀬舟も那賀川の水上交通を担いました。いまでは陸上輸送が中心となっていますが、かつて川が物資を運ぶ大きな道だったことが、那賀川の歴史をより立体的に見せています。
那賀川は恵みの川である一方、豪雨のたびに荒々しい表情も見せてきました。流域には洪水に関する伝承や治水の痕跡が残り、川と人との長い関わりを伝えています。
江戸時代には、下流の平野部を洪水から守るため、霞堤などの治水施設が築かれました。代表的なものとして万代堤があり、巨石を用いた水防の工夫も伝わっています。明治以降には、羽ノ浦町の商工業地域や農地を守るために、堰と堤防を兼ねた「ガマン堰」も築かれました。
さらに、那賀川の治水をめぐっては、大西堰や南岸堰、北岸堰などの施設が、長い年月の中で役割を担ってきました。記録には老朽化や損傷の様子も残されており、川を使いながら守ることの難しさがうかがえます。
那賀川は、昔は「長川」「長河」とも書かれ、時代とともに呼び名を変えてきました。愛称の「阿波の八郎」は、流域住民からの募集によって生まれたものです。阿波の川として親しまれながらも、同時に洪水や水利の課題を抱えてきた川として、その名は地域の記憶に重なっています。
川辺を歩くと、清流の印象だけでなく、農業を支える用水の仕組み、水上交通の歴史、治水に向き合ってきた人々の足跡が、ゆるやかに重なって見えてきます。那賀川は、いまも徳島の土地と暮らしを静かに支える川です。