旅旅

手取川宮竹用水土地改良区の歩み 手取川と能美平野をつなぐ水の記録

石川県能美市三ツ屋町 宮竹用水

(2026/09/25 更新)

手取川から能美平野へ続く宮竹用水

石川県能美市宮竹町に事務所を置く「手取川宮竹用水土地改良区」は、手取川の水を生かして能美平野を潤してきた組織です。公式サイトの沿革では、宮竹用水は「手取川から梯川の間の能美平野を潤す県下第2の用水」とされ、地域の農業を支える水の仕組みとして長く受け継がれてきたことが分かります。

現在の名称に至るまでには、宮竹用水普通水利組合から河南四郷土地改良区への組織変更、さらに宮竹用水土地改良区への改称など、時代に応じた歩みがありました。平成29年には「手取川宮竹用水土地改良区」へ名称変更し、手取川とのつながりをより前面に出した形になっています。

由来と、取水をめぐる長い歴史

宮竹用水の由来としては、手取川南岸の取水口と、かつて「宮竹八ヶ用水」と呼ばれていたことが紹介されています。中世から藩政期にかけて手取川の流路が南へ移り、正徳〜享保年間に手取川からの取り入れが整ったとされるなど、水を得るための工夫が積み重ねられてきました。

明治期には、宮竹用水が今の灯台笹・宮竹町地内で3か所に分かれて取水していた時期がありました。その後、県や国の事業によって取水口の合併や改修が進められ、御座ヶ渕への取水口移設、水路トンネルの開削、堀割水路の新設など、施設の整備が段階的に進んでいます。

一方で、手取川右岸の七ヶ用水とのあいだでは水の配分をめぐる調整も重ねられました。昭和36年には分水協定が成立し、昭和42年には宮竹逆サイフォンが完成しています。こうした経緯からは、単に水を引くというだけでなく、地域ごとの営みを保ちながら水を分け合うための長い協議の積み重ねが感じられます。

近代化と、農業を支える施設整備

戦後の宮竹用水では、取水や水路の近代化が進みました。昭和23年からは、天狗壁堰堤の嵩上げ、取入口の水門化、隧道や水路改修、沈砂池、管理道路の整備が行われ、取水の円滑化が図られています。のちには、上郷・下郷・得橋・山川などの幹線用水路の改修や、排水改良も進められました。

沿革には、昭和42年の大日川ダム完成、昭和60年の各用水の完成、平成に入ってからの各種改良事業、さらに宮竹用水沈砂池の整備などが細かく記されています。こうした事業の積み重ねによって、農業用水の安定供給と施設の維持管理が少しずつ整えられてきたことがうかがえます。

小水力発電の導入

宮竹用水の特徴として、農業用水を活用した小水力発電施設があることも挙げられます。平成7年には石川県内で初めての農業用水を利用した上郷発電所が完成し、のちに宮竹用水第一発電所へ名称変更されました。さらに平成30年には第二発電所が運転を開始し、近年には第一発電所の発電設備更新事業も進められています。

公式サイトでは、これらの発電所について、土地改良施設の操作に必要な電力を供給し、維持管理費の軽減を図ることを目的としたものと案内されています。発電した電力を売電する点も含め、農業用水とエネルギー利用を重ねた取り組みとして位置づけられています。

疏水百選にも選ばれた手取川疏水群

全国水土里ネットの「疏水百選」では、「手取川疏水群(手取川七ヶ用水・宮竹用水)」が石川県の項目として紹介されています。これは、手取川から引かれた水の仕組みが、単に地域内の用水にとどまらず、広く農地資源の価値を伝えるものとして見られていることを示しています。

土地改良区の歩みをたどると、用水路の整備や分水協定、発電の導入など、時代ごとに課題へ向き合ってきた過程が見えてきます。地域の農地と生活を支える水は、流れそのものだけでなく、それを守り使い続けるための制度や施設によっても形づくられてきたようです。

現在につながる地域のインフラとして

手取川宮竹用水土地改良区の沿革には、昭和、平成、令和へと続く更新や改修の記録が並びます。事務所の移転や新設、各種事業の採択、施設の完成や更新など、その都度、地域の水管理を支える体制が整えられてきました。

今日の宮竹用水は、手取川の水を農地へ届けるだけでなく、排水や維持管理、発電まで含めた複合的なインフラとして機能しています。歴史を読み返すと、能美平野の風景の中に、目立たないながら確かな役割を担う水路の存在が、長い時間をかけて積み重なってきたことが伝わってきます。