旅旅

旧東海道の鈴鹿峠を歩く:県境の峠に残る茶屋跡と往来の記憶

滋賀県甲賀市土山町山中 鈴鹿峠

(2026/10/04 更新)

鈴鹿峠について

鈴鹿峠は、旧東海道の西の要所として知られる峠で、三重県と滋賀県の県境にあたります。標高は378mで、東海自然歩道のルートにもなっています。坂下宿からは徒歩で約50分とされ、旧東海道を歩く人にとっては、宿場と宿場の間にある山越えの区間です。

今回の記録では、日本橋から旧東海道を歩き始めて28日目に鈴鹿峠へ至ったとのことでした。旅の流れの中で見ると、東京都から神奈川、静岡、愛知、三重を経て滋賀へと進む途中にあり、江戸から京都へ向かう道の重みを感じる場所でもあります。

峠に立つと見える風景

入力にある印象では、鈴鹿峠は天気のよさもあって、さわやかなハイキングのような場所として受け取られています。旧東海道の難所として語られる一方で、現在歩いてみると、山道の緊張感よりも、空気の澄んだ峠道らしさが前に出てくるようです。

三重県側から来ると、国道の脇から石段があり、自転車ではそのまま通り抜けできないという記録もあります。担いだり押したりしながら進むことになるため、歩行者向けの峠道としての性格が強く残っています。一方で滋賀県側からは、そのまま峠まで自転車で行けるという情報もあり、県境をまたいだ両側で道の表情が少し異なります。

旧東海道と東海自然歩道

鈴鹿峠は、旧東海道が山を越える区間として知られています。三子山と高畑山の鞍部を通る道であり、東海道がこの峠越えを本筋とした背景には、古い交通の変遷があります。886年に阿須波道が開かれて以後、この峠越えが東海道の中心的な道筋になったとされています。

また、東海自然歩道のルートにもなっているため、街道歩きだけでなく山歩きの目的でも通られる場所です。坂下宿から峠までの道のりは、現代の感覚では「歩ける山道」ですが、かつての旅人にとっては宿場の先に待つひとつの関門だったはずです。

茶屋が並んだ峠

鈴鹿峠の記録で特に印象的なのは、江戸時代に茶屋が並んでいたという話です。「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」と言われたほどで、松葉屋・鉄屋・伊勢屋・井筒屋・堺屋・山崎屋の茶屋が建ち並んでいたと伝えられています。

現在でも、それらの茶屋の石垣が残されており、往時の情景を思わせます。昭和22年の記録では、交通路や交通機関が変わったことで茶屋が役目を終え、跡地が草むらに埋もれていった様子も紹介されています。いま峠を歩くと、にぎわいそのものよりも、かつて人が立ち止まった気配が地形の中に残っているように感じられます。

堺屋については、萱葺の店で中央が土間になり、長い縁側があったこと、出入り口の先と奥に釜が据えられていたことなどが伝えられています。大名や公卿が立ち寄る際の動線まで考えられた構えだったようで、峠の茶屋が単なる休憩所ではなく、街道の格式も受け止める場所だったことがうかがえます。

祈りと伝承の残る場所

峠の頂上付近には、「鈴鹿山の鏡岩」と推定される磐座や、坂上田村麻呂を祀った田村神社旧跡があるとされています。こうした場所は、峠が交通の要衝であるだけでなく、祈りや祭祀の場でもあったことを示しているようです。

また、鈴鹿山は歌枕としても知られ、多くの和歌が残されています。旅の道としてだけでなく、古くから文学の中に置かれてきた山であることも、鈴鹿峠の背景を厚くしています。

現在の歩き方としての鈴鹿峠

入力された体験談を重ねると、鈴鹿峠は「険しい難所」という古いイメージだけではなく、現在は山道歩きや東海道歩きとして親しまれている場所でもあります。天気のよい日に歩けば、峠そのものはさわやかな印象があり、装備を整えて訪れるハイカーの姿も見られるようです。熊よけの鈴を携えた人の話もあり、山に入る際には街道歩きとはいえ、やはり山道としての準備が必要だとわかります。

坂下宿から鈴鹿峠へ向かう道は、旧東海道の記憶、茶屋の跡、峠祭祀の痕跡が重なった場所です。いま残るのは派手な観光施設ではなく、石垣や地形、そしてわずかな史跡ですが、それらが静かに往来の歴史を伝えています。