滋賀県大津市稲葉台 琵琶湖疏水第一トンネル第一竪坑
(2026/08/24 更新)
竹林を左手に、急な勾配を登っていくと、道の右手にふいに現れる建造物があります。近くまで入ることはできませんが、フェンス越しに説明が記されていて、立ち止まって読む人も少なくないようです。金網の向こうに見える煉瓦造りの姿は、周囲の山道とは少し違う時間の流れをまとっているようでした。
ここは、琵琶湖疏水第1疏水にある竪坑です。深さは約47m。山の両側から掘り進むだけでなく、山の上から垂直に穴を掘り、そこから両側へ掘り進める「竪坑方式」が日本で初めて採用された場所として知られています。
琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して進められた事業でした。第1疏水の工事は明治18年に始まり、第1トンネルは大津側の三井寺下と藤尾の両側から掘り進められました。同時に藤尾側から竪坑を掘り下げ、その底から東西へ掘削することで工期を早めたとされています。
完成した第1トンネルは、当時日本で一番長いトンネルだったとも伝えられています。竪坑は工事の促進だけでなく、換気や採光の役割も担っていました。今ではその機能を想像しながら眺めることになりますが、煉瓦で造られた構造は、工事の技術や気配を静かに残しています。
この場所は、京都から琵琶湖へ向かう徒歩ルートの途中にもあります。小関越えの旧道は険しいものの、竪坑のそばを通ることで、山道の風景の中に近代土木の記憶が差し込まれるようです。
山科側の旧道は約819m、平均勾配は11%、標高は206mと案内されており、山科から大津へ国道を外して向かうルートとして知られています。車では厳しい道のりですが、歩いてたどると、峠がすぐそこだと感じる距離でもあります。
竪坑は網越しにしか見られませんが、それでも「大きくて立派」という印象を受けます。目の前で触れられないぶん、煉瓦の色や形がかえって記憶に残るのかもしれません。山の斜面に突然現れる人工物は、通り過ぎるだけでは見落としやすいものですが、足を止めるとその存在感がはっきりと伝わってきます。
周囲は竹林や坂道が続く静かな環境で、観光地の賑わいというより、疏水工事の痕跡をたどる散策路という性格が強く感じられます。街の中心から少し離れた場所に、こうした明治期の構造物が残っていること自体が、この地域の歴史の厚みを伝えているようでした。
疏水第1竪坑は、侵入できる場所ではありませんが、だからこそ周囲の風景と切り離されずに残っています。坂を登り、竹林を抜け、フェンス越しに煉瓦の姿を見る。その一連の流れの中で、今の道と明治の工事現場が重なって見えてきます。
小関越えを歩く途中で出会うこの竪坑は、派手な見どころではないものの、山科と大津を結ぶ道の記録として、静かに存在しています。