旅旅

坂本龍馬脱藩の地・韮ヶ峠を歩く 梼原街道に残る静かな峠の広場

愛媛県西予市野村町小松 韮ヶ峠

(2026/09/19 更新)

韮ヶ峠は、坂本龍馬脱藩の道にある山の境目です

高知県梼原町の韮ヶ峠は、坂本龍馬が土佐から伊予へ脱藩した道筋として知られる場所です。入力にあるレビューでも、県道36号線をたどって向かった道のりは「険道」と感じられるほどで、到着までの山道そのものがひとつの体験になっていました。

峠に着くと、広場状に整えられた空間の中に、坂本龍馬像や案内板、トイレ、ベンチが置かれています。派手な観光施設が並ぶ場所ではなく、静かに峠の位置を示すようなつくりです。それでも、龍馬の足跡をたどってここまで来たという実感が残る場所として、印象に残ります。

山道の先にある、質素で整えられた空間

韮ヶ峠の周辺は、入力テキストでも「これと言った物は特にない」「質素な作り」と記されていました。実際、峠そのものは大きく開けた広場でありながら、周囲の景色を楽しむ展望地というより、歴史の節目を示す地点として整備されている印象です。

一方で、トイレがきれいに保たれていることや、車椅子用の設備があることに触れる声もあり、山中の峠でありながら、立ち寄る人への配慮は感じられます。長い山道の途中で突然トイレが現れた、という驚きも含めて、この場所らしい記憶になっているようです。

「まかり通る」の言葉が重なる場所

日本山岳会の紹介によると、韮ヶ峠は1862年、坂本龍馬が梼原を経て伊予の大洲へ向かった脱藩ルートの一部とされています。現在では韮ヶ峠ルートが有力視されており、龍馬が越えた山の境として語られています。

現地には、龍馬像のほかに「維新の道・坂本龍馬脱藩の道」と書かれた案内や、松ケ峠番所跡を示す立て看板もあります。道中をたどると、山の中の台地や尾根、谷筋、車道と山道が交互に現れ、昔の街道がそのまま残っているわけではないものの、ところどころに古道の気配が感じられます。

龍馬がここを通る際に「坂本龍馬、まかり通る」と言ったと伝わる話もあり、峠は単なる地理的な通過点ではなく、脱藩という決意の場として見えてきます。

梼原街道と古道の空気

韮ヶ峠へ向かう梼原街道は、山の肩や尾根、谷筋に沿って続く古道です。途中には茶堂や集落跡、棚田、石垣、林道が点在し、生活の場と移動の道が重なっていた痕跡が残ります。

レビューには、昔の人がこの道を歩いて越えたことへの驚きが何度も書かれていました。車でも行きにくい場所だからこそ、徒歩で越えた時代の重みが伝わってきます。登山道として整備されている区間もありますが、商店や自動販売機はなく、山道としての準備が必要な道です。

それでも、道標を追って進むうちに、山奥にありながら人の営みが続いてきたことが、周囲の地形や遺構から静かに伝わってきます。

立ち寄る人を受けとめる峠

韮ヶ峠は、観光施設が集まる場所というより、歴史の道の終点に近い峠の広場です。けれど、到着した人にとっては、その簡素さがかえって印象に残ります。大きなものはありませんが、龍馬像、案内板、トイレ、ベンチがあり、山の中の節目として必要なものがきちんと置かれています。

入力テキストでは、何度も訪れて写真を撮っているという声もありました。龍馬像は「銅像もどき」と表現されることもありますが、峠の風景の中に立つ姿は、この場所ならではの記憶をつくっています。

梼原町の歴史をたどる出発点として

韮ヶ峠だけでなく、周辺には梼原町歴史民俗資料館「梼原千百年物語り」や、志士の像が並ぶ「維新の門」など、坂本龍馬や土佐の志士に関わる地点が点在しています。韮ヶ峠は、その中でも特に「脱藩の道」の実地感が強い場所といえます。

坂本龍馬の足跡を史跡としてたどるだけでなく、長い山道の果てにある峠の空気、簡素に整えられた広場、山中に残る道の痕跡を見に行く場所として、記録に留めておきたい一地点です。