旅旅

小田原・荻窪用水散策コースを歩く 水路がつないできた里の風景

神奈川県小田原市風祭 荻窪用水

(2026/09/17 更新)

荻窪用水をたどる散策コース

小田原市の「荻窪用水散策コース」は、荻窪用水のルートをたどりながら、江戸時代の用水工事に関わった人々の営みや、水と土、里のつながりを考えるためのウォーキングコースです。荻窪用水は、箱根町塔之沢付近で早川の水をせき止め、小田原市荻窪へと続く全長約10.3kmの用水路で、平成18年には全国疎水百選に選ばれています。

現在案内されているコースには一部通行困難な場所があるため、「入生田コース(入生田〜風祭間)」は閉鎖され、風祭駅を起点とする「風祭コース」が利用されています。所要時間は約1時間50分、距離は5.7kmです。足元が悪い箇所が多いとされているため、街歩きというよりも、用水の地形とともに進む散策路として受け止めるのがよさそうです。

風祭から小田原駅西口へ

風祭コースは、箱根登山鉄道風祭駅を出発し、萬松院、山懸水道水源池、板橋用水取水口、煙硝蔵堰取入口、狩俣隧道入口、荻窪用水溜池跡、日透上人墓、水車小屋、市方神社、めだかの学校を経て、小田原駅西口へ向かう構成です。

駅を出てから市街地へ抜けるまでのあいだに、山あいの水路らしい静けさと、小田原の暮らしの気配が重なっていきます。用水はところどころに隊道や開渠が見られるとされ、地上を流れる区間と、山の中をくぐる区間が連続する点に、この水路ならではの表情があります。

荻窪用水の成立と役割

荻窪用水の工事は寛政9年(1797年)に始まりました。江戸時代の荻窪地区は水田のない貧村だったとされ、水を得て田を開くことが長く願われていました。そこへ、農閑期の行商で村を訪れた川口広蔵が、早川から水路を開く計画を決意し、入生田村、風祭村、板橋村、水之尾村の村民も加わる五ヶ村共同事業として進められました。

工事は難航し、事故による犠牲者も出たと伝えられていますが、20年後の1802年に完成し、五ヶ村に合計70町歩の水田が開けたとされています。のちには灌漑だけでなく、水車による精米にも利用され、地域の生産と生活を支える水の道として機能してきました。

用水の周辺に残る記憶

コース上の水車小屋は、明治13年(1880年)には荻窪用水を利用した水車小屋が19軒あった中で、現在残る唯一のものと案内されています。かつては米つきに使われていたとされ、用水が単なる流路ではなく、地域の仕事に直結していたことがうかがえます。

また、荻窪用水の脇には「めだかの学校」があります。童謡『めだかの学校』は、童話作家の茶木滋が荻窪の小川付近での会話を基に作詞したといわれ、平成8年(1996年)には小田原市が、用水の脇にメダカを放流して憩いの場として整えたとされています。水辺の記憶が、歌や小さな生きものの景色と結びついて残っている場所です。

歩きながら見えてくるもの

荻窪用水散策コースは、観光地を点々と回るというより、水路に沿って土地の時間をたどる歩き方に向いています。史跡や社寺、用水施設、水車小屋、そして「めだかの学校」のような親しみやすい場所が並び、江戸時代の開削から近代の改修、現在の散策コース整備まで、複数の時代が一続きに感じられます。

荻窪用水は、土木学会選奨土木遺産にも選ばれています。山間を抜けて小田原の市街地へ至る水路を歩くと、目に入るのは水の流れだけではなく、それを維持し、使い、受け継いできた地域の手つきです。静かな道のりのなかに、農地、生活、信仰、記憶が折り重なっていることを確かめる散策コースといえます。