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倶利伽羅峠越えの旧北陸道をたどる 歴史国道「北陸道」と津幡町の街道風景

富山県小矢部市石坂 倶利伽羅峠越

(2026/09/04 更新)

旧北陸道が残す、道の記憶

石川県津幡町と富山県小矢部市にまたがる倶利伽羅峠越えの旧北陸道は、古代から畿内と日本海側を結ぶ重要な路線のひとつとして位置づけられてきました。津幡町では、この道を歴史国道「北陸道」として紹介しており、現在は延長約12.8キロの散策路として歩くことができます。

沿道には、源平合戦ゆかりの史跡や、加賀藩の参勤交代に関わる往還道の面影が点在します。道路そのものだけでなく、峠道に残る空気や周囲の自然も含めて、街道の時間をたどる場所として整えられているのが印象的です。

倶利伽羅峠と歴史の重なり

この旧道が歴史国道として評価された背景には、倶利伽羅峠に積み重なった出来事があります。712年には加越国境の砺波山麓に砺波関が設けられ、8世紀には大伴家持がこの地で多くの歌を残しました。

また、1183年の倶利伽羅源平合戦では、木曽義仲による「火牛の計」が伝えられています。江戸時代に入ると、参勤交代の道として整備が進み、竹橋宿は往来の中で栄えた宿場町でした。街道の道幅は約3〜3間半、両脇には松並木が植えられたとされ、盛土の上に芝を敷くなど、道づくりにも当時の工夫が見られます。

明治以降は天田峠に新道が開かれ、旧来の峠道は車社会の主流から外れていきました。その結果、かえって往時の街道風情が残ったともいえます。今歩くと、近代的な幹線道路とは違う、山越えの道ならではの静けさが感じられます。

津幡町側から歩く街道

津幡町側では、道の駅「倶利伽羅源平の郷・竹橋口」を起点に、街道沿いの「歴史国道」案内板に従って歩くことができます。途中には、宿駅「竹橋」、前坂権現、一騎討ち跡、龍ヶ峰城址公園、道番人屋敷跡、馬洗い場跡、子安地蔵堂、秀雅上人堂、不動ヶ池、手向神社、倶利迦羅不動寺、倶利伽羅権現石殿、倶利伽羅公園など、地名だけでも街道の層の厚さが伝わる見どころが並びます。

史跡のひとつひとつは派手さを競うものではありませんが、道の役割や信仰、戦いの記憶が、峠の斜面にそのまま置かれているように見えます。ハイキングコースとして歩くことで、道が単なる移動のための線ではなく、地域の歴史を受け継ぐ場だったことがわかります。

小矢部市側へ続く道と周辺の見どころ

小矢部市側にも、平為盛塚、源平供養塔、倶利伽羅小道、芭蕉塚、猿ヶ馬場(地獄谷)、源氏ヶ峰、砂坂、塔の橋、矢立、天池茶屋跡、中たるみの茶屋跡、巴塚・葵塚、砺波の関、埴生護国八幡宮、倶利伽羅源平の里・埴生口といった見どころが続きます。

津幡町側と小矢部市側をあわせて歩くと、峠越えの道が単独の名所ではなく、境界の土地に積み重なった交通、信仰、戦の記憶をつないでいることが見えてきます。自然の中に史跡が点在する構成のため、歩く速度に合わせて景色が少しずつ変わっていくのもこの道の特徴です。

毎年4月下旬のイベント

毎年4月下旬には、倶利伽羅古戦場で歴史国道イベント「くりから夢街道 加賀vs越中おもしろ源平大綱合戦」が開催されています。全長120メートル、直径12センチの大綱を、津幡町と小矢部市の参加者で引き合う催しで、源平合戦にちなんだ行事として行われています。

大綱引き合戦のあとには、八重桜の咲く歴史国道「北陸道」を、倶利伽羅山頂から武者行列とともに峠道を下ります。さらに龍ヶ峰城址公園では団子やお茶のサービスがあり、観光ボランティアガイドによる史跡説明も行われます。街道そのものを舞台に、地域の記憶をたどる催しとして組み立てられているのがわかります。

歩いて見る「歴史の道」

歴史国道「北陸道」は、1995年に国土交通省の「歴史国道」として認定され、1996年には文化庁の「歴史の道百選」にも選ばれました。富山県側でも「歴史の道百選」のひとつとして紹介されており、古代から近世、近代へと続く交通の変遷を示す道として位置づけられています。

峠道を歩くと、古い道はただ保存されているのではなく、今も歩けるかたちで残されていることが実感されます。案内板をたどりながら進む散策は、歴史を読むというより、土地の上に重なった時間を一歩ずつ確かめていくような体験です。