愛媛県新居浜市立川町 第四通洞
(2026/06/20 更新)
別子銅山は、日本三大銅山の一つとして知られる近代化産業遺産です。住友グループにより1691年から1973年まで、実に283年間にわたって掘り続けられました。標高1,210mの地点から採掘が始まり、最深部は海面下1,000mにまで達したとされています。
また、別子銅山は亜硫酸ガスによる煙害への取り組みでも知られています。明治初期から植林を進め、かつての山の姿を取り戻してきたことも、この場所の大きな特徴です。
閉山後、別子銅山は端出場地区と東平地区に分けて整備され、2007年度に近代化産業遺産に認定されました。なかでも東平地区の索道基地・貯鉱庫跡は、「東洋のマチュピチュ」として広く知られています。
レビューにもあるように、煉瓦造りのトンネルは間近で見ると迫力があり、現役だった頃の姿を想像したくなる存在感があります。坑道の中へ入ることはできませんが、外から感じる冷たい空気がひんやりとしていて、山の遺構ならではの空気感があります。
東平地区は、1916年から1930年まで採鉱本部が置かれていた場所で、最盛期には約3,800人が暮らしていたそうです。銅山関連施設だけでなく、学校、病院、社宅、娯楽場、配給所などの生活関連施設も整えられており、当時の暮らしの規模の大きさがうかがえます。
現在は、索道基地・貯鉱庫跡、トンネル、変電所、生活関連施設跡地のほか、歴史資料館や保安本部跡を利用したマイン工房などが整備されています。
端出場地区は、1930年から1973年まで設置された採鉱本部の跡地です。現在は銅山のテーマパーク「マイントピア別子」として整備され、1991年にオープンしました。
ここでは、トンネルをそのまま利用した観光用の鉱山鉄道や観光坑道、地中展示施設、砂金採り体験パークなどがあり、見学と体験の両方を楽しめます。さらに、道の駅として温泉施設や売店、レストランも設置されています。
遺構としては、旧水力発電所、四通橋、トンネル(第四通洞)なども残されています。芦谷川鉄橋や坑道入口など、産業の歴史を伝える景観が点在しているのも見どころです。
別子銅山の関連資料を展示する別子銅山記念館では、屋外にドイツ製の鉱石運搬に使用された蒸気機関車が展示されています。また、別子銅山の総支配人を務めた広瀬索平が1877年に建てた住宅と庭を公開する広瀬歴史記念館もあり、歴史をより身近に感じられます。
別子銅山は、遺構そのものの迫力だけでなく、山の再生や産業の記憶を今に伝える場所としても印象的です。遺産をたどりながら、かつての鉱山の息づかいに触れられるのが、このエリアの魅力といえるでしょう。